日本茜には、脈々とした『日本の赤』としての歴史があります!
弥生時代1
吉野ケ里遺跡から出土の絹の端くれから日本茜と貝紫の色素が検出されています。
平安時代~
この大鎧は、青梅市武蔵御岳神社に神宝として大切に保管されてきた平安時代後期の大鎧で、武蔵国府の最高権力者であった畠山重忠奉納と伝えられています。この赤糸縅鎧の赤糸は往時の植物染料の茜で染められ今も鮮やかな赤色を保っています。しかしその技術は伝承されず、明治36年(1903)の補修では、鉱物染料で染められ、その部分は現在退色しています。
緋(ひ)深緋(こきひ)浅緋(うすきひ)の緋は茜で染めた色を指し、茜の赤色色素であるプルプリンを高純度に精製した色ですが、蘇芳の出現により安易に赤色を出せることで茜の染めが途絶えるようになりました。
弥生時代2
『魏志倭人伝』に邪馬台国の女王卑弥呼(2~3世紀)が魏の王に献上したものの一つに「絳青縑」(赤や青の絹布)と記述があり、「絳」は「あかきねりぎぬ」即ち『茜染の絹布』であることから、この時代にすでに日本茜で緋色を染める技法が完成していたと言えそうです。
奈良時代
7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集です。その中に、茜、茜草、赤根、安可根等で表現され人気のあった枕詞として登場します。
代表的な歌では、
「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」額田王作があります。
国旗の「日の丸」
時は江戸時代末期黒船来航の直ぐ後、「日の丸」が船舶用の国籍標識として導入され、その後船舶に限らず日本の国籍を示す旗として一般化されました。その初期の日の丸の赤色は筑前茜染めの技法で染められたのが始まりでした。
しかし、現在の国旗の赤色は、マンセル色体系で3R4/14と決められていて、残念ながら、初めての日本茜で染めた色が踏襲されておりません。